古代呪術の歴史と真理(その三)

秦霊性心理研究所

所長 はたの びゃっこ


 あまたある憑依霊の中でも蛇は縄文、弥生時代から続いてきた信仰に根ざした古いものである。古代日本では蛇巫(へびふ)と呼ばれるシャーマンがいた。弥生時代までは女性が中心だったのだが、古墳時代になると男性シャーマンもいた。

 古墳の石室の内壁には,よく幾何学模様が描かれている。 三角形が連なったもの。菱形、同心円、 渦巻。

 こうした文様はすべて蛇の象徴として描かれたかれたものと考えられている。三角形、菱形は蛇の胴体にあるうろこ、縞模様の象徴である。同心円や渦巻き紋様は蛇がとぐろを巻いた姿を象徴している。


 古墳から出る埴輪には、ヘビ柄の紋様の衣装を着ている人物がかたどられたものがある。衣装についても古代人は「蛇を着ていた」ようである。

 古代社会の蛇巫の仕事は集落の長老として、祖神である蛇を祭ることにあった。彼らは白砂の敷き詰められた神聖な庭に生きた蛇を這わせて、その這った跡を見て占いをしたり、また山や海から蛇を捕獲したり、飼育したりしていた。瓶や桶の中に蛇を入れて飼っていた。


この風習をもった蛇巫の一族がその後祭祀から離れて凋落していき、憑き物信仰としての「蛇憑き」になっていったものと考えられる。蛇憑きは中四国地方に根強く残っていた憑霊信仰である。


 また、ご神木や神山も蛇の象徴として崇拝の対象にされていた。植物では、びろう、シュロの木,竹,松,杉,檜も蛇を暗示する。藤やツタも蛇を連想させる象徴となる。 杉の木がご神木というのは、伏見稲荷山の傘杉、一本杉、三本杉の社にも認められる。というのも、稲荷山も大昔は神奈備、龍神信仰の地だったからである。 


 また、縄文、弥生時代には一般的だった竪穴式住居の円錐形の藁葺き屋根も蛇のとぐろを巻いた象徴であり、彼らは象徴的には「蛇の胎内」に暮らしていたことになる。


 古言語の面から見ると、「カカ」という音は蛇を意味しており、カガミとは「蛇身」のことになる。したがって、正月の飾り物である鏡餅とは<蛇身餅>となる。鏡餅のてっぺんにはダイを載せるが、あのダイは蛇の頭を表しており、遠い昔、毒蛇を瓶の中に入れて飼い、崇拝していた時代の祭祀の名残となる。

 さらに、<鏡>も蛇の目の輝きという象徴的意味を持っており、古代人が異常な情熱を持って銅鏡を輸入したり、鋳造する技術を取り入れたりしたのも、神使である蛇の目の光を崇拝していたためだという説もある。

 同じく、神道の大祓詞にも「カカ」という音が出てくる。

 「・・・此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売と言ふ神 持ち<加加>呑みてむ 此く<加加>呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神 根国 底国に気吹き放ちてむ・・・」

 この祝詞の中の【持ち<加加>呑みてむ】というくだりの「カカ」は、蛇がカッと大口を開けて獲物を飲み込む様子を表す擬音を表している。つまり,速開都比売(はやあきつひめ)という神さまは蛇女神ということになる。しかも、海の神さまだから、海蛇が速開都比売の正体となる。

 このように、日本人は古来から蛇神を崇敬する部族が源流になっている。いわば、蛇の国なのである。 門松、注連飾り、鏡餅……。正月に使う道具は蛇の象徴にあふれていることに注目したい。正月は新生あるいは再生の時期である。われわれ日本人は大晦日から元旦にかけて、生活や意識の切り替えをする。ヘビも古い皮を脱ぎ捨てて、新しく生まれかわる。その生命力、再生力に畏敬と畏怖を感じて、自然と蛇をカミの具象として崇拝するようになったのであろう。まことにめでたきものがヘビなのである。

 「倭の水人は、好んで沈没して魚蛤を捕り、文身(いれずみ)し、もって大魚水禽をはらう。」 ともあり、彼らの漁法が潜水漁法であり、サメよけ、水鳥の難を払うために、入れ墨をしていたと描写されている。

彼ら海人は海神(わたづみ)=豊玉彦を祀り、その海神を始祖とする伝承を持っていた。その信仰については後述する。


参考文献

吉野 裕子 1999 蛇-日本の蛇信仰 講談社学術文庫

秦霊性心理研究所

当研究所は、霊性概念に関する東洋の叡知と西洋の心理学的アプローチを統合し、私たちの心の安寧と魂の成長に寄与する実践的方法を探求しています。意識 霊性 呪術 シャーマニズムに関する評論、および加持祈祷を通じた実践活動を展開しています。