皆さま
現代社会には、「霊能者」や「霊媒」と名乗る人が数多く登場しています。
かつてテレビで話題になった“霊能力者”の存在は、いまやSNSや動画サイト、口コミを通じて、より身近な存在になりました。
一方で、「どの霊能者を信じてよいのかわからない」「高額な祈祷料を請求された」「相談後にかえって不安が強くなった」など、私たち相談室にも深刻な相談や被害の声が後を絶ちません。
ここでまずお伝えしたいのは、私たちの立場は「誰が本物で誰が偽物か」を断定したり、誰かを断罪したりすることにありません。
霊的な現象や“力”のあり方は、現代科学では説明しきれないグレーな側面が多く、善悪や真偽を単純に決めつけることはできません。
むしろ、現場で実際に見聞きしてきた「事例」や、相談者の切実な声、各地の伝統や経験から生まれた“知恵”を、ひとつの経験則として共有することこそ、今の時代に必要なことだと感じています。
今回は、私たちが現場で体験してきた事例や実感をもとに、霊能や霊媒をめぐる“利他心”と人間模様について、読者のみなさまと一緒に考えるきっかけを提供したいと思います。
すべての人に当てはまる唯一の正解はありません。どうぞご自身の感覚と照らし合わせ、必要な部分だけを手に取っていただければ幸いです。
伝統や地域に受け継がれてきた「役割」と掟
霊能者や霊媒という存在は、突然生まれたわけではありません。
日本各地の村や町、集落では、長いあいだ、家系や地域社会の中で「役割」として継承されてきた歴史があります。
たとえば東北のイタコや沖縄のユタ、四国の巫師など、それぞれの土地には代々の掟や“しきたり”があります。
多くの伝統に共通する特徴として、「自分や家族の障りは自分で祓えない」「自分のことは見えない」という戒めが語り継がれてきました。
これは、霊能というものが“他者のために発動する媒介の力”であり、万能感や独善とは無縁であることを示しています。
私たちも、地域の巫師や同業者との協力を通じて「互いに助け合う」経験を重ねてきました。
どんなに力がある人であっても、孤立や独りよがりでは長続きしません。
共同体の支えと慎み深さがあってこそ、霊的な役割をまっとうできるのだと実感しています。
現場で見聞きした“違い”とその現実
私たち相談室には、日々さまざまな相談や体験談が寄せられます。
その中には、「霊能者から“ご先祖の祟り”と言われ高額な祈祷を勧められた」「祈祷で“必ず治る”と断言され、かえって悩みが深くなった」といった声も珍しくありません。
ここでお伝えしたいのは、「絶対的な正解や基準がある」ということではなく、現場で実際に見聞きした“傾向”についてです。
たとえば、私たちが信頼を置いてきた伝統的な巫女や霊媒は、「分からないことが多い」「自分や家族のことは見えない」「失敗もある」と率直に語ります。
また、相談者に対しても「絶対こうなる」とは断言せず、相手の考えや選択の余地を大切にします。
一方で、“すべて見える”“何でも解決できる”と力強く断言する方や、「あなたのため」と言いながら不安を煽り、高額な祈祷やグッズ購入を勧める例も視られます。
なかには、「相談を重ねるほど不安になり、依存から抜け出せなくなった」「何度も高額な支払いをして、心身ともに疲弊した」という切実な声もあります。
これらはあくまで現場で実際に見聞きした事例の積み重ねです。
「本物」「偽物」と決めつけるのではなく、読者のみなさまが自身の感覚で違和感や納得を感じ取る材料として、参考にしていただければと思います。
「自分が分からない」―心理学からの解釈
伝統的な霊能者が「自分や家族のことは分からない」と語る背景には、心理学的な理由も考えられます。
人は、自分にとって不都合な現実や認めがたい感情から、無意識に目をそらすことがあります。
これを「自我防衛機制」と呼び、代表的なものに「投影」「否認」「合理化」があります。
たとえば、誰かが自分の中にある不安や怒りを「外部の念」や「他人の霊障」として受け止める場合、実は自分自身の心の問題が映し出されていることも少なくありません。
また、霊能者自身が自身の弱さや迷いを、無意識のうちに他人や霊的現象のせいにしてしまう場合もあるのです。
私たちは、現場でそうした“心の動き”を体験してきました。
「自分にも限界がある」「全てを理解できる人間などいない」という現実を認め、互いに助け合うことでバランスを取っています。
心理学的な視点を取り入れることで、安易な万能感や自己正当化の落とし穴を避ける手がかりが得られるのではないかと思います。
トランスパーソナル心理学が照らす霊能現象
「トランスパーソナル心理学」と呼ばれる分野が、霊的な現象や体験を新しい観点から考察する手がかりを与えてくれています。
これは、人間の意識が自己(パーソナル)を超える(トランス)ときに現れる、神秘体験や変性意識状態を積極的に探究する心理学の一分野です。
この分野の知見から見ても、伝統的な霊能者の多くは「自分が特別だ」と誇らず、「自分はただの器」「自分の欲やエゴをできるだけ手放すこと」を重視します。
自己を超えた何か、もっと大きなものにつながる感覚――それが“純粋な媒介”として働く力になるという実感を、多くの現場で共有してきました。
逆に、「自分だけが特別だ」「自分の力で全て解決できる」といった万能感は、“エゴ肥大”として危険視されています。
本当に深い霊的体験を持つ人ほど、同時に自分の“影”(弱さや葛藤)とも向き合うものです。
また、どんなに深い体験があっても、現実検証能力や「グラウンディング」を大切にし、日常や人間関係を疎かにしない姿勢が大切だと痛感します。
「利他心」の罠と現実―相談現場で見聞きした事例から
「利他心」という言葉は、多くの場合“美しい動機”や“尊い心”として語られがちです。
しかし、私たちが現場で実際に見聞きしてきた中には、「利他」を掲げながらも危うい言動に陥るケースが少なくありません。
例えば、ある相談者の事例です。
彼女は身内の病気や家族問題に悩み、複数の霊能者に相談しました。
ある霊能者は「ご先祖の因縁が強いので、今すぐ特別な祈祷が必要です。費用は30万円ですが、これがあなたと家族を守る唯一の方法です」と断言しました。
さらに「あなたが断れば、災いが家族にふりかかります」「私を信じてくれないなら救えません」と不安や罪悪感を繰り返し強調しました。
不安に耐えかねて高額な祈祷料を支払い続けたものの、心身の負担は増すばかり。
結果的に、「自分のためだったのか、それとも霊能者のためだったのか」分からなくなってしまったと語っています。
私たちが現場で感じるのは、「利他心」とは名ばかりで、実際には自己満足や承認欲求、場合によっては支配や搾取にすり替わってしまう危うさです。
本当に利他心を持っている人は、「助けてやる」「救ってやる」とは決して言いません。
むしろ、相談者自身が自分の力で立ち直れるよう、静かに見守り支える役割に徹しています。
「自分のために生きること」と「誰かの役に立つこと」は、決して対立するものではありません。
互いの自立や主体性を支える関係こそが、現場で体験してきた“本当の利他”だと実感しています。
また、「助ける側」と「助けられる側」が共依存に陥る危険性も現場では繰り返し目にしてきました。
利他の美名のもとで依存や搾取が起きていないか――相談する側も、される側も、常に自分を省みる必要があります。
相談者の「主体性」とは何か
これまで現場で見聞きしてきた事例の多くが教えてくれるのは、「誰かに頼ればすべてが解決する」という依存の危うさです。
霊能や霊媒に相談することは否定しません。しかし、「自分の人生は自分で引き受ける」という主体性を手放してしまうと、依存やトラブルを招きやすくなります。
本当に信頼できる霊能者や相談者は、相談者が自ら考え、主体的に選び取る力を大切にします。
「絶対に当たる」「必ず救う」といった断言に頼らず、「失敗や限界を受け入れながら、共に歩む」ことが大切だと感じます。
読者のみなさまにも、どんな状況であれ「自分の判断と感覚」を信じてほしいと願っています。
まとめ:現場の知恵を「判断材料」として
本記事でご紹介した事例や経験は、あくまで私たちが現場で見聞きした“ひとつの積み重ね”です。
「本物」「偽物」を決めつけたり、誰かを断罪したりするためのものではありません。
霊能や霊媒の世界は、現代の科学的常識や一般的な善悪論だけでは語り尽くせない、深く複雑な現実があります。
そこに関わるすべての人が、失敗や迷い、成長や学びを繰り返しています。
大切なのは、「利他心」という言葉に酔うのではなく、互いの主体性と自立を支え合う。
そして、困難な時ほど、自分自身の感覚と判断を信じ、必要なときは周囲の支えを素直に求める。
「本物とは何か」「本当の利他とは何か」
この問いを読者の皆様と共に考え続けることが、大切だと思います。
読んでくださった方が、自分自身の人生や出会いについて、少しでも新しい視点や気づきを持てますように。
麗月相談室 所長 中村雅彦(ペンネーム:はたの びゃっこ)
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